日本は安楽死を認めるべきだ

両親が許してくれたら、苦痛なく死にたい。又は法律が許すなら人を殺して食ったり家具を作りたい。

久しぶりにブログをやる

昔はHappy Hacking Keyboardなんて使ってたが何やかんや

RealForce使ってるあたりキーボードへのこだわりは捨てきれないみたいだ。

 

別に最近はプログラムを書くわけでもなし何故キーボードにこだわり続けるのか。

実際暫くの間ワイヤレスappleキーボードを使っていたし、コーヒーをこぼしてから

若干shiftが効きづらくなって困っていたがそれでもなんとか使い倒していた。

日々の作業に高級キーボードが必要な理由など皆無なのである。

 

それでもなお、かってHHKを使っていた頃の、恐れを知らぬ無邪気な時代への

憧憬がRealForceの購買へと自分を駆り立てた。新しいもの好きの性というか

全く同じものをもう一度買うのは面白くなかったので、同じ静電容量無接点方式

(というか日本には他のメーカーで同方式を採用している所がないのだが、そのへんの職人気質感もプレミア感を演出している。)

のキーボードを買った。実はHHkは数年使ったあと当座の金を作るために売ってしまった。当時出始めたばっかりのメルカリ系アプリだったかヤフオクだったかで

馴染みのキーボードを売ったのだった。HHkのサイトにこんな文句がある。

 

アメリカ西部のカウボーイたちは、馬が死ぬと馬はそこに残していくが、どんなに砂漠を歩こうとも、鞍は自分で担いで往く。馬は消耗品であり、鞍は自分の体に馴染んだインタフェースだからだ。
  いまやパソコンは消耗品であり、キーボードは大切な、生涯使えるインタフェースであることを忘れてはいけない。

東京大学 和田英一 名誉教授の談話]

 こんな文句に感動して買ったのも今や昔、もっとも下品な方法で売り払ったのだから

自分の情の無さにほとほと呆れる。

 

今回キーボードを買ったのはやはり、メルカリであった。キーボードの耐久年数、現実的な使用感など判っていたので特に悩むことなく、安いのをリストアップして(勿論、RealForceの中で)即決した。そもそも何故静電容量無接点方式にこだわったかというと、それはあの頃に戻りたかったというノスタルジィ以外の何物でもない。別に使えればいいのであれば数百円のキーボードで問題ないわけで、わざわざ有線の高級キーボードを買ったのは傷ついた魂を癒すためなのだ。

 

弁解がましくなったが消費行動でしか自身を発散できない人種がいることを知ってほしい。結局手に入れたキーボードで生産的な作業、創造的活動をすることなくお陀仏文(汚物のような駄文の略)を書き散らしているのが等身大の自分なのである。